鈴木ひろみ 新宿区富久町生まれ

幼少期

鈴木ひろみの幼少期1983年(昭和58年) 10月3日 新宿区信濃町の慶応義塾大学病院にて出生。
母の実家である新宿区富久町で育つ。
1985~86年 西光保育園(新宿区新宿6丁目)
1986~1988年  私立あやめ幼稚園(新宿区富久町)

エピソード

鈴木ひろみの幼少期

鈴木ひろみの幼少期

 

  • 東京ガスのサラリーマンだった父と主婦をしていた母。ごく普通のサラリーマン家庭に生まれる。
  • 母の実家は、祖父の代から新宿区内で営んでいた、内外観光社という小さな旅行会社。のちに同居し旅行会社を手伝う母にかわり、三宅島出身の祖母や地域の人に見守られながら新宿区で元気に育つ。
  • おばあちゃん子で、物心ついた頃からずっと祖母を追いかけていた。美空ひばりの大ファンだった祖母の影響で、当時のカラオケの十八番は『お祭りマンボ』。
  • 当時からお祭りが大好き。昼はお神輿、昼寝をして夜は盆踊りでも、へっちゃらだった。「『ドンパン節』『炭坑節』『八木節』を得意げに踊っていた」。(親戚談)
  • 西富久町会の『水かけ祭り』で、あまりに水をかけられすぎて大泣きしたことも。しかし、祭り自体を嫌いになることはなく、毎年参加していた。
  • 西富久児童遊園の大きな滑り台がお気に入りで、よく遊んでいた。「西富久地区再開発でなくなってしまい、本当に残念」。(本人談)
  • 「お嬢さん」として教養高く育てたいという祖母と両親の希望で、小学校お受験をすることになる。誰に聞いたのか全く覚えていないが、「川村学園に入学するには、両親を『お父様』『お母様』と呼ばないと面接で減点される」ときき、何の前触れもなく両親の呼び方を変え、両親を驚かせる。その甲斐あって(?)見事合格を果たす。

学生時代

1988~2004年 私立川村学園付属の、川村小学校に入学。小学校から大学までの16年間、学生時代は全て川村学園で過ごす。

エピソード:小学校時代

  • 鈴木ひろみの小学校時代学校の方針で、登校はずっと三つ編みだった。三つ編みをほどいた時の「自然パーマ」がお気に入りだった。
  • 戦う女の子にあこがれて、『セーラームーン』『魔法騎士レイアース』等を『なかよし』でよく読んでいた。セーラームーンのようになるのが夢だった。颯爽と、悪い奴と戦いたいと思っていた。
  • 家族旅行で毎年植物観察をしに蓼科に行っていた。「父が写真、母が調べ、私が記録をした『植物観察』が毎年恒例の夏休みの自由研究だった」。
  • 自由研究の「植物観察」は小学4年から中学3年まで続いた。最終的に近所の製本所に持ち込み、製本加工してもらい1冊の辞典にしてもらった。
  • 近所の印刷屋さんのインクや紙の匂い、機械の音を聞きながら育った。よくフォークリフトに乗せてもらって遊んでいた。
  • 日曜日になると、父と神宮外苑で自転車の練習をした。なかなか乗りこなせず、途中、何度もあきらめそうになりながらも根気よく教えてもらった。
  • とにかく納豆が好き。「毎週日曜日は、祖母と一緒に近所の豆腐屋さんに買いに行っていた」。(親戚談)
  • 弟が小5の春に生まれてひとりっこから、2人兄弟になった。鈴木ひろみの小学校時代
  • 食事の時は、好きなおかずは大切に最後まで残しておく子どもだった。しかし、 弟が生まれてからは取られないように好きなものから食べるようになった。

エピソード:中学校
鈴木ひろみの小学校時代

  • 『だんご3兄弟』『ポケモンいえるかな』が好きだった弟にあわせてよく一緒に歌っていた。当時151匹の全てのポケモンの名前を覚えたが、新しく増えたものはわからない。
  • 反抗期もあった。家族や親戚と接するのを面倒くさく感じて、帰宅してもあまり口をきかない時期があった。
  • TVドラマの影響で、漫画は『ガラスの仮面』が特に好きだった。祖母が内緒で買ってくれたものと、自分のお小遣いをつぎ込んだため40冊以上あった単行本は全て揃っている。「今でも『ガラスの仮面』だけは、最新刊が出るたびに買っている」。(本人談)
  • バラエティ番組が好きで、『電波少年』『ウッチャンナンチャンのウリナリ』などをよく見ていた。特に『ポケットビスケッツ』が大好きだった。署名を集めたらCDシングルを出すことが出来るという企画があり、友人や知人に頼み200人分の署名を集め、麹町まで持参したこともある。

エピソード:高校鈴木ひろみの高校時代

  • 自分のやりたいことがなかなか見つけられず、とにかく色々な分野に手を出していた。
  • 図書館にこもって本を読み漁る生活をおくっていた。デールカーネギーの『人を動かす』は何度も読んだ。夏目漱石、芥川龍之介、三島由紀夫、澁澤龍彦など明治の文豪は特に好きだった。
  • 趣味は音楽鑑賞。ヴィジュアル系やバンドブームだったこともあり、B’z、T.M.Revolution、GLAY、L’Arc-en-Cielなどの曲を聞いていた。
  • ミュージカルやシャンソンも好きで、美輪明宏のコンサートや、劇団四季のミュージカルをよく見に言っていた。
  • マンガの『るろうに剣心』の斉藤一、『ワンピース』のロロノア・ゾロの影響から剣道部に入部。出来たばかりの部活だったため、剣道の修練よりはもっぱら部活運営とマネジメントのほうに力を入れていた。

政治と無縁だった大学、社会人時代

エピソード:大学

  • 鈴木ひろみと若桑教授4年制大学に進学。心理学部心理学科に入学したが、若桑みどり先生のゼミで卒業論文を書きたいために、入学して1カ月で転部を決意。2年生からは晴れて、人間文化学部生活文化学科生となる。
  • 大学時代の恩師は若桑みどり先生。情熱を持ち、丁寧に指導にあたって下さった。
  • サークルには入らず、若桑先生の研究室で美術史やジェンダーについて、大学院生に交じって講義を聞かせてもらっていた。
  • 大学のプログラムでイギリスのバース大学に短期留学をした。「美術史で、イギリス世紀末美術やラファエロ前派の絵画が好きだったため週末は常に美術館に行っていた。食事をケチって1日1食にして、そこでしか買えない美術書を買って学んでいた」。(本人談)
  • 大学時代のアルバイトでは、コンビニや日雇いのティッシュ配りをしたこともある。生計を立てるために、様々な年齢や性別の人が働いているという事を知った。
  • 大学での勉強を続けたかったが、若桑先生に、女性を取り巻く社会を知るためのフィールドワークとして、一度就職し、3年間社会に出るよう勧められる。
  • 洋服屋のアルバイトをきっかけに、就職するなら接客、販売の仕事に就こうと思い就職活動を開始。

一般企業勤務時代

2006~2009年 as-meエステール株式会社

エピソード

  • 運よく正社員での採用が決まったas-meエステール株式会社に入社。ジュエリーコーディネーターとして接客及び販売業務をおこなう。
  • 「人と話をすることが楽しく、身に着けるものを変えることで、お客様が「変身」する瞬間を見ることがうれしかった」。
  • 毎日宝石に囲まれて仕事をしていたおかげで、宝飾品に関わる知識も増え、目だけは肥えた。
  • 働いて2年半が過ぎた10月3日、自身の誕生日に若桑先生の訃報を聞く。「将来の目標が無くなり、目の前が真っ暗になった」。
  • 先生との約束は果たそうと思い、丸3年は勤めきった。その間、ワーク・ライフ・バランスの難しさや、女性幹部職の少なさなど、女性の雇用を取り巻く社会環境の厳しさを知った。

政治の道

都議会議員秘書時代

2009~2011年 東京都議会議員いのつめまさみ事務所勤務
2010年 牛込消防団入団
5月 民主党大学東京(4期生)介護分科会所属

エピソード

  • site-profile-001一般企業退職後、新宿区の高齢者や同世代の雇用の問題に興味を持ち都議会議員事務所の門をたたく。いのつめ事務所では、主に事務所の掃除と都政レポートの配布をはじめとした地域への広報活動に従事。事務所のあった早稲田鶴巻町を中心とした榎地区、戸塚地区の地域担当として、町会や商店会の皆さんからいろいろ話を伺うことが出来た。「地域に密着しているからこそ、地域の課題を把握できるということを町の皆さんから教えていただいた。」
  • 都議の代理で出席をした、牛込消防5団体の新年会の時に勧誘され、牛込消防団第3分団に入団。自分の町を自分で守るという意識が高まっていった。
  • 10996112_800105783409400_7674832336596361734_n政策の勉強もしていこうと、民主党大学東京に入塾。介護分科会で、介護支援ボランティアポイント制度について発表した。TVなどでみる国会中継も大事だが、最も身近な自治体行政の方が正確に密着をしていると感じるようになり、区政の現場で働きたいと考えるようになった。
  • 事務所での仕事は、毎日が新しいことへの対応だった。失敗し、涙を流すと都議からは「涙は自分の為に流すものではなく、人のために流すものだ。政治家は泣いたらいけない。」と余計に叱られた。「都議の政治姿勢から、人の悩みや痛みが分からなくては、良い政治は出来ないのだということを知り、これが政治を行う上での信条になった」。

区議会議員候補者

10月~ 民主党東京都新宿区支部政策委員就任
民主党公認新宿区議会議員候補予定者として活動を開始。

エピソード

  • 鈴木ひろみの候補者時代新宿区議会議員選挙の候補予定者として早稲田の地域で本格的に活動をスタートさせた。
  • ポスターを支援者の方のご自宅に貼らせていただき有難い反面、妙に気恥ずかしい気持ちになった。また、はじめての街頭演説では、緊張のあまり自分の名前を言う事すらままならず散々だった。支えてくれた方々に応えるためにも、恥ずかしがっている場合ではないと、どのように話せば足を止めて聞いてもらえるのか、政策をわかりやすく伝えることができるのかなど試行錯誤の日々だった。
  • 街頭演説では、1人も聞いてくれる人がいない時、「うそつき!」と怒鳴られたり、ペットボトルを投げつけられた時もあった。
  • 東日本大震災が発生。このタイミングに本当に選挙をしていいのか、悩んだ時期もあったが、逆に有事だからこそ、政治のことを真剣に考えねばならないと自分を奮い立たせた。
  • 10924808_800070783412900_2605091040947806205_n2011年4月、初当選を果たす。「事務所で支えてくれた方々と結果を待っていた。当確が出た時はただただ感謝だった。また、選挙は終わったが、これからが仕事の始まりだと身が引き締まる思いがした」。

区議会議員

2011年 新宿区議会議員初当選
民主党男女共同参画委員会 委員
民主党東京都総支部連合会青年委員会 大学局副局長
5月~ 環境建設委員会理事、防災等安全対策特別委員会理事
2012年 民主党男女共同参画委員会 委員
民主党東京都総支部連合会青年委員会 大学局局長代理
特定非営利法人Woppy 理事
2013年 民主党男女共同参画委員会 委員
5月~ 福祉健康委員会理事、自治・地方分権特別委員会理事
2014年 民主党男女共同参画委員会 委員
民主党デング熱対策チーム 新宿区幹事
9月〜 決算特別委員会副委員長
2015年
4月
新宿区議会議員 二期目

鈴木ひろみの区議会議員時代